薬剤師という仕事をしながら、日々感じること。
お薬と一緒に包みたい想い。
カウンターの向こう側
今日は雨。雨のカーテンが街を覆いそうなこんな日は、薬局の室内だけでも気持ちよく晴れた気分で患者さんをお迎えしたい。ガラスの向こうにFさんの姿。やはり、こんな天気の日は歩きづらそう。わたしはカウンターを出てFさんに向かって小走りに近づく。声をかけると、転ばないように気をつけてうつむいていた顔をあげてあいさつしてくれる。よかった、いつもの笑顔だ。何気ないことだけど、雨の中で、雨の日だから、カウンターを越えて心に傘を差し掛けたい。わたしがそうされたら、やっぱりうれしいから。こんなふうに思える雨の日もあってもいいのかな。そんなことを少し思いながらの雨上がりの帰り道。
くすりはモノじゃない
最近、ふと考えてしまうこと。ニュースなんかでくすりの規制緩和や副作用のことをよく見聞きする。それだけ、たくさんの人に関心を持ってもらうことは悪いことじゃない。でも、何か引っかかる。なんだろう、そうした大切な問題に関わる偉い人たちが、なんだかくすりをモノみたいに扱ってるように感じることがあるから。たとえ、どんな場所でどんなふうに服用されるものでも、くすりはくすり。ちゃんと、くすりを服用する人一人ひとりと向き合って、その人のことを分かって“効くこと”を考えてこそ、くすりなんだと思う。少なくとも、私はそう考える。
コップ半分の気持ち
「あかんって分かってるんやけどね」。Tさんは、少し気恥ずかしそうに話す。「主人が帰ってきたときにね、ご飯食べながら一緒にコップ半分のビールを飲むのが楽しみで」。リウマチを患っているTさんにとっては、お薬の服用とアルコールというのは避けなければならないこと。Tさんだって、言わなければいいことだってわかってる。でも、後ろめたい気持ちでいたくないから、こうやって何気なく話してくれてる。その気持ちも、すごくわかる。「やっぱり主人も、一緒に晩酌に付き合ってもらえるいうのが嬉しいみたいで、いろいろ話も聞いてくれるし」。リウマチに限らず、時間も友達にしなければいけないような疾患は、ときに不安感や孤独感に襲われる。そんなとき、コップ半分のビールで癒されるなら、なんとかくすりに作用しないようにアドバイスしてあげたくなる。私がTさんだったら、やっぱり……。